死んで生きるのと生きて死ぬのと

ワタシは
出家っていうのは、限りなく自殺に近い行為だと思ってる

このままだと自分を殺してしまうしかないって所まで様々な理由で社会から追い詰められ、自分自身を思い詰めた時に、自殺するという最悪の手段ではなく、出家して己の色と欲を断ち切り、社会のシガラミを断ち切り、なんとか生きるだけは生きて自分自身と世界を見つめなおし・・・・できうるならば何か生きている人々、死んだ人々、これから生まれる人々のために祈るだけは祈ろうと決意する・・・・・・・・


その手段の始まりが出家だと思ってる

そこまで思い詰めた人間に、仕事を投げ出したから無責任だとか、迷惑かけんなとか、社会人として自覚が足りないとか・・・・あまりに酷だと思わない?

電車に飛び込んで自殺する人間に、無責任だとか電車止めて迷惑かけんなとか、社会人としての自覚が足りないとか、どんな指導してたんだとか・・・・みんな心では思ってはいても、テレビでおおっぴらに非難は出来ないでいるでしょ?

出家するって事は
「私は死んだと思ってくれ!」
という意思表示なんだよ


職業坊主や瀬戸内寂聴みたいな生臭出家者や新興宗教やオウムのせいで、出家という行為が陳腐化しているのは、実に嘆かわしい事だ・・・・



厳密に言えば

「出家」した身というのは、ある意味、生者と死者の境目に存在する・・・・グレーゾーンみたいな存在であるべきだと思ってる

まあ

そんな能力者は空海くらいしか知らないがね・・・・








[PR]
by t102910291029 | 2017-02-14 05:20 | Comments(0)
<< 生活保護ビジネスと同じ論理 坂上忍とかが >>